その昔、赤村には「吾勝山(あがつのやま)」と呼ばれた霊峰がありました。それは今、「岩石山(がんじゃくさん)」と呼ばれ、隣の添田町との境界にあります。
吾勝山の東側にあたる南北に細長い平野部を「吾勝野(あがつの)」と呼んだと言い伝わりますが、時の天皇が「この南北にのびる平野は長すぎる。北と南に別けて呼ぶように」と言われ、それから「あが」と「つの」と別けて呼ばれるようになったということです。
ちなみに「つの」は、今の添田町津野にあたるとされます。
「あが」という地名は、わが国最古の歴史書「日本書紀」に登場します。同書安閑天皇二(535)年、福岡県各地に屯倉(みやけ、ヤマト王権の直轄地)を設けたとあります。
この中に「我鹿(あが)屯倉」という記述があり、その推定地が赤村ではないかとされています。
古く皇室に由来する伝承がいくつかあるのも赤村の魅力です。