千人塚
201号線に出て左折し、見立入口交差点を左折、しばらく行くと小さな池があり、千人塚の説明版がある。
タイトルは千人塚とあるが供養碑の説明がされている。側面に享保17年(1732年)の大飢饉でなくなった方を供養した石碑で、その石碑には老若男女44人が餓死したと刻まれているそうだが、何故千人塚と名付けられたのかは書かれていない。享保17年は約280年前、江戸期最大の大飢饉とあり、全国で96万人が餓死者が出て、糸田地域の死亡率は50%とのこと。
説明版の後方、池の横にこんもりとした茂みの端に石碑は立っている。あのこんもりとした茂みが千人塚だろうか。
この池にはいつもアオサギが一羽いる。時には魚釣禁止の看板に止まっていたりする。コサギも飛んでくるし、バンもいて、水草が繁茂する前はカイツブリも見かけたこともある。魚釣を禁止するほど魚がいたに違いない。
天明の古地蔵
池南側へ進み、案内板が道を示す。メジロの声が騒がしい、椿が咲く小径に沿って進むと左手の竹薮の中に小さなお地蔵さんと出会う。
この古いお地蔵さんは、やはり江戸時代のもの。側面に「天明三…」の文字が読み取れる。天明年間(1781年~1789年)にも大飢饉があったと日本史で習ったことを思い出した。飢饉供養のためのお地蔵さんでしょう、何かを抱えているようだ。
他にも自然石の仏様も散在しています。今でも、地元の人たちが供花されているのでしょう、花立てが添えられています。
坂を登りきると石碑が見えてきます。
供養塔は小さな塚の頂きにあり、自然石の石碑で注連縄が掛けられています。町道を通すために西面が切り通され崖となっていた。昔はこの周辺全体が飢饉供養の丘であったのかもしれない。千人塚もうなづける。
この千人塚の近くには岩屋古墳がある。次回はその紹介をします。