赤村の歴史

縄文時代

赤村の歴史は、縄文時代の遺跡より確認できます。落とし穴等を地面につくり、狩猟をした形跡が珠数丸遺跡群や利正寺遺跡からわかります。

また、竪穴住居は沖代、合田の各遺跡で検出し、これにともなってたくさんの土器や石器が出土しました。竪穴住居は、弥生、古墳時代まで継続して営まれ、古代には河川の流域を中心として集落を営んでいたようです。

中世(鎌倉、室町、戦国時代)

中世(鎌倉、室町、戦国時代)になると岩石城、戸城山城が築かれ、その周辺に位置する遺跡からは青磁や白磁といった高価な器が出土し、戦乱の中にも華やいだ生活が見られます。

江戸時代

泰平の世となった江戸時代、五穀豊穣、無病息災を祈るため数多くの祭りが赤村でも生まれました。

我鹿八幡神幸祭、大内田岩戸神楽(ともに村指定民俗文化財)はその代表格です。
数百年続けられている祭りは、人々の厚い信仰により守られています。

それは我鹿八幡神社本殿(村指定有形文化財)のような建造物を守りえてきた面にもあらわれています。

明治時代

明治になると筑豊炭田の勃興にともない、赤村にも鉄道が通るようになりました。
このときにできたものが、内田三連橋梁や石坂トンネル(ともに国登録有形文化財)、油須原駅本屋をはじめとする近代化遺産です。

赤村にはこれらの遺産が大小10数基残ります。

そして赤村といえば、自然遺産の数々があまたあることが特徴です。
たとえば、琴引の滝や大音の滝、水運の拠点となった石坂渓谷や正福寺の大銀杏などがあげられます。農村としてのイメージが色濃い赤村ですが、歴史や文化からは違った側面があります。

このように豊かな自然環境に囲まれた赤村は、ユニークな歴史と文化を持つ日本の原風景といえます。


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