福智町の歴史

古代

伊方古墳(福岡県指定文化財)や西金田城山遺跡など、地域の有力者や地元集落の墳墓が多く作られました。
また福智修験や福智神社が開山し、最澄や空海も山頂で祈願したと伝えられています。

鷹取山の山頂には長谷川氏の鷹取城が築かれました。

中世

福智修験が盛んで、元寇の際には山頂で頻繁に祈祷が行われたと伝えられています。
また、元から帰国し京都南禅寺など名刹の侍従を歴任した高僧・無隠元晦が興した興国寺では、京都から背走した足利尊氏が再起を図ったという伝説が残されており、のちに興国寺は安国寺第一位の指定を受けました。

近世

利休七哲の一人で大名茶人の細川忠興が豊前小倉藩主となり、1602年、上野の地(釜ノ口窯)で上野焼(国指定伝統的工芸品)を開窯させました。

国焼茶陶の御用窯として格調高い器が作られ、以降、小笠原藩でも藩窯として栄えます。
また、宮本武蔵の甥で養子の伊織(筆頭家老)ゆかりの寺である常立寺では、武蔵が剣を教えたという伝説も残されています。幕末の第二次長州征伐では9代藩主・小笠原忠幹の葬儀が興国寺で行われ、その正室・貞順院が六角家屋敷(金田)に滞在しました。

近代

明治時代になると石炭の採掘が盛んになり、炭都筑豊の一翼を担うようになります。

石炭輸送では金田地域が川ひらたや鉄道の要所となり、方城地域では三菱方城炭鉱、赤池地域では明治鉱業赤池鉱業所が稼働。それぞれの地域で商店街が形成され、炭鉱景気に沸きました。
また、福智町出身の童謡作曲家・河村光陽は「かもめの水兵さん」や「うれしいひなまつり」などの名曲を数多く残しました。

近現代

石炭から石油へのエネルギー革命による閉山で人口が流出し、基幹産業消滅による後遺症で旧赤池町・金田町・方城町がいずれも財政再建(準用)団体となり、財政基盤の建て直しに努めました。

平成18年3月6日に旧赤池町・金田町・方城町の3町が合併し「福智町」が誕生。平成19年1月には、上野在住の皆川ヨ子さん(同年8月没)が114歳で長寿世界一になっています。


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