田川市の歴史

古墳時代

市内には、直径80メートルと県内でも有数の大きさを誇るセスドノ古墳(県史跡)をはじめ、位登古墳、夏吉古墳群といった規模の大きい古墳が見られます。
これはいくつかの氏族国家がこの地に生まれていたことを示すものです。

『日本書紀』には、大和朝廷の勢力が九州に及び始めたころ、対抗する氏族の首長が「高羽の川上に居り」との記述があり、これが田川の名が文献にでてくる最初とされています。

明治以降

日本近代産業発展の原動力となった「石炭」産出地であった筑豊炭田。
明治中期から日本有数の石炭産地としてクローズアップされ、大正初期に、全国の産出量の約半数を占めるまでになり、昭和初期には、石炭産業が隆盛期を迎えました。

しかしながら昭和30年代に入るとエネルギー革命により石炭産業にかげりが見え始め、昭和39年の三井田川鉱業所閉山後、市内からヤマの灯が消えました。

かつて筑豊随一の炭鉱であった三井田川鉱業所伊田坑は、現在の田川市石炭記念公園。園内にある二本煙突と竪坑櫓は当時のまま保存されており、今でも炭都田川のシンボルとして人々の心の拠り所となっています。


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